『規律書』改訂案: (限りなく逐語訳に近い)日本語訳 (その1)
序 と 第一部
Minutes of The 2002 Synod
(pp.68-)
Proposed Revision Draft #11,
Book of Discipline (
序 [原書 p.68より]
戒規は、[キリストの]弟子とされていくにあたって極めて肝要である。そして、それは、愛と従順で従うようにと、イエスが命じたことに基づく。 最初の弟子となった者たちは、まずイエスに教えられ、それがあってはじめて、彼の代理人として派遣されたのである。(マルコ3:14−15)。
今日、私たちには み言葉の証し、ご聖霊のみたし、健全な説教が、イエスへの信仰へ導くために与えられている。 そして、私たちを結束させるものとして、キリストの花嫁としての彼の教会の交わりと、教会のリーダーシップが委ねられているところ長老たちによる監督を有している。
クリスチャンの戒規の目的は、贖いの[業のもたらす]変革と 聖化への継続的な成長をクリスチャンの生涯にもたらすためである。 私たちはすべからく罪を犯すものであるとはいえども、クリスチャン[というもの]は義をうみだし、また、個々人を恵みのうちに成長するように導くような過程に参画すべきである。 よって、クリスチャンは、愛とよき業においてお互いを励ましあうというよき模範たらねばならぬ。 (ヘブル10:24)
戒規には積極面と消極面とがある。 これは恵みのうちで成長する上での継続的過程であるので、会衆の一人一人の責任ともなる。 加害者に対しては、悔い改めへ導くべく、思いやりと愛とを示すべきである。
長老たちは、会衆の兄弟姉妹の弱さや罪にも適宜 目を配りつつ、リーダーシップを行使すべきである。 もし、彼らが会員のことを知らず、常に祈ることをせず、頻繁に訪問 (“visit consis-ently”[1] ) しないのであれば、会員に接触することはできないのが当然である。 これを我々は「予防的戒規」と呼ぶ。 そして、これが会衆全員の霊的健康の維持のためにとられる第一段階なのである。 「予防的戒規」は、必ずや「矯正的戒規」の必要のいくつかを回避することにもなろう。
教える長老も治会長老も、会衆の秩序と平和のために、聖書的な戒規を確立すべきである。 精神的かつ道徳的な人格を形成し完成するのは彼らの責任なのであるから、長老たちがまず自らを鍛錬(“disciplining”[2] )する必要がある。 かかる後、彼らが会衆一人一人へのよき影響をもたらすことになる。 最後に、彼らは会衆全体に対して わけ隔てなく戒規を執行すべきである。 また、かかる戒規は、健全な説教、そして小会が会衆各々の霊的生活へ責任を負うことから始まる。
我々のリーダーたちは、イエスが我々に遵守するように命じたところの懲戒や裁きを維持しなければならないので、いかなる規律書であっても、より正式な、より矯正的な、そしてしばしばネガティブな戒規の側面を力説しなければならない。 重大な問題とは、[エデンの園での] 堕落以来の道徳的・霊的な世界の退廃が我々に教えることとは、キリスト教の原則や教えが無いままで、家庭が形成され得る、子供が成長し得る、ということである。 私たちは、全ての思い、態度、行いにおいてキリストが臨在されるように祈る義務があり、それによって、私たちは彼のみ名に栄光を帰するような個人的生活そして集団的生活をおくることができるのである。
教会会議(“Church Court”[3])は、[民事]訴訟へと発展する懸念がある。事例には 適宜 注視すべきである。 具体的には、[教会]会議で解決が図られる以前に、[民法、民事訴訟法などの]法律に訴えることがあってはならない。(参照: 第一コリント書 6:1−8) 教会会議は和解、仲裁、その他の紛争解決過程を採用することができる。
『規律書』は 二つの部分から成る。 第一部は、 通常の[教会]会議の手順を扱う。 これは、より非公式(“less formal”)なものであり、戒規を受けるべき会員がその罪を認め、その罪状や譴責について反論する気持ちが無いような、尋常な事例にとりわけ有効である。 [もっとも、] これは「事例を審理せずにすませる」という意味では決してない。 というのも、罪に問われた会員がこの事例そのものを異議を申し立てたり、教会会議が彼の風評や陪餐資格に影響を及ぼすような譴責を決定するよりもずっと以前に、裁判を要求することを妨げないからである。第二部は、より正式かつ厳格な手続きを扱う。 もし、会員が彼への訴えに異議を申し立てたい場合、あるいは 譴責が厳しいと申し立てたい場合は、第二部に準拠して 正式な[教会] 裁判を要請することができる。 また、その要請は受理されなければならない。
第一部: 定義、原則、一般的な戒規の実践 [原書 p.69]
第1章: 教会戒規の聖書的根拠と基本原則
1. 神の民は、聖(きよ)くなるべく召されている。 教会の一会員の罪は、教会全体に悪影響を及ぼすものである。 これは、陪餐会員と受洗会員を含み、その双方が戒規の対象となる。
2. 神は、神の教会の罪を扱うべく、秩序的な手順を制定された。 マタイ書18:15−17に示されているこの秩序は、愛に満ちた個人的な対峙、証言の利用、教会のリーダーに助言と判断を仰ぐことを伴う。
3. 教会戒規の5つの目的とは、[1] 罪を犯した者の矯正のため。 [2] 他の者が同様の罪を犯すことを思いとどまらせるため。 [3] キリストの名誉と主の教会の純潔と平和とを維持するため。[4] 福音の真理を堅持するため。 [5] 神の怒りが教会に下されることを回避するため。[である。]
4. 教会戒規に関する主の命令に従わない教会は、確実に 主の祝福を失い、それには教理と生活における更なる悪化を伴う。
5. 戒規は、節制、分別、謙遜、そして ご聖霊の導きへの全面的な信頼にもって、律法の制定者(“the Lawgiver”[=神]) と 律法違反者(“the lawbreaker”)双方への愛を伴って、なされるべきである。
6. 一個人への不快感のすべてが、正式な戒規手続きの根拠となるわけではない。 戒規を必要とする違反とは以下の3種類である: [1] 異端。 [2] 道徳律法の無視もしくは違反(聖書 と 北米改革長老教会憲法の内容において明記されている教会の教えと政治とにおいて 主への服従を拒むこと。) [3] 教会法廷への侮辱。(教理ないしは生活において矯正が必要である場合に、教会の戒規の権威を敬うことを拒むこと)
<参照聖句>
出エジプト23:1、民数記35:30、申命記13:1−11、17:2−13、19:15−20、
21:18−21、22:20−22、ヨシュア7:1−26、マタイ16:19,18:15−18、
ヨハネ20:21−23、使徒5:1−11、第一コリント5:1−13、第二2:5−11、13:1、
ガラテヤ6:1、第一テサロニケ5:12−15、第二テサロニケ3:6、14−15、
第一テモテ5:19−21、テトス3:10−11、ヘブル12:1−13、13:17、黙示2:2、20
第2章: 教会における罪への対処 − 個人的な責任 −
1. ある教会員が他の者に罪を犯した場合、あるいは、ある教会員の罪が 教会の他の会員の知るところとなった場合には、被害者 もしくはその罪を知るところとなった者は、罪を犯した者に個人的に会い、[それが罪であることを]知らしめるべきである。
2. もし 罪を犯した者が悔い改めるならば、そこに赦しと和解がなされるべきである。 そして、この事例は、ここで収束する。 兄弟を勝ち得た、ということである。
3. もし、罪を犯した者が悔い改めない場合は、彼の罪を知るところとなった者は、1人ないし2人を証人として同行してもらって 彼に会い、罪人の悔い改めを促すべきである。和解や調停が有益であるのは このような状況下においてである。 それが成功したら、この事例はここで収束する。 兄弟を勝ち得た、ということである。
4. もし、罪を犯した者はなおも悔い改めない場合、彼の罪を知るものは小会に報告し対処を依頼する。
5. もし、罪を公(おおやけ)が知るものとなった場合、すなわち、個人的解決が困難な場合は教会会議へと[事例を]提起すべきである。
<参照聖句>
マタイ18:15−17、第一コリント5:1−2、第一テモテ5:19−20
第3章: 教会における罪への対処 − 組織的責任 −
1.
もし 小会、ないし 上位の教会会議(“a higher Court”[4])が、罪を犯した会員のことを知るに及んだ場合、これを会議は無視してはならない。また、教会会議は これを直接、ないし [教会]法委員会に委任する形で対処することができる。 (第二部第四章、ならびに『政治規準』第六章 第16段落 (D−35)を参照。)
2.
もし、かかる会員が 異端を教え、あるいは 道徳律法を無視・違反し、教会会議を侮辱していることを示す充分な証拠がある場合、会議は彼に愛と思いやりをもって接し、告発 を調査することとする。
3.
もし、罪を犯した者が告白し、悔い改めるならば、赦しと和解がなされるべきであり、この事例は収束する。 兄弟を勝ち得た、ということである。 かかる紛争終結には、助言や譴責が 状況に応じて適切であり得る。
4.
もし、[その者]が事実を認めつつも悔い改めを忌避するならば、教会会議は、悔い改めを希求しつつ、正式な譴責の執行へと進むことができる。
(譴責に関しては、第四章を参照。)
5.
ひるがえって、もし、告発された者が、[その内容を]否定し、訴えに関して異議を訴えるならば、教会会議は、正式な裁判課程を経ずに、勧告(“admonition”)や非難("rebuke”)の域を超えた譴責(”censure”)の実施へと進むことはできない。
(正式な裁判過程に関しては、第二部を参照。)
<参照聖句>
マタイ18:15−17、申命記19:15、第二コリント13:1
第4章: 教会譴責の実行
1. 譴責(“censure”)には5段階がある[5]。 すなわち、 勧告(“admonition”)、 非難(“rebuke”)、 [会員権の]停止 (“suspension”) 、[役員権の]剥奪 (“deposition”)、除名(“excommunication”)である。 これらの正式な譴責は、罪が確認され、しかも、譴責が妥当であるか もしくは被告発者が悔い改めない場合、実行される。 譴責は、罪の明細な内容を明記の上、文書化される。 また、可能であれば、教会会議の会員1名ないし複数によって個人的に罪を犯した者に通告される。 教会会議は、[必ずしも軽い譴責から始める必要はなく] どの譴責を用いてもよい。 加えて、教会会議は、本章の第二段落に記されているように、正式な譴責なしに、かかる会員を名簿(“roll”)から除籍することができる。[6]
最も軽度の譴責。 通常、義務の怠慢に対して実行される。 譴責の内容は、加害者の罪を責めること、その罪のもたらす危険について警告すること、忠実なクリスチャン生活に更に励むように奨励することをから成る。 教会会議は、その監督下にある 会員たちに、この勧告(“admonition”)の理由を公的に知らしめることができる。
( 「推奨様式 24号」[7] 参照)
これは、より重大な罪に課せられる譴責であり、通常、[小会等からの]忠言にもかかわらずに、罪を継続し、あるいは、引き続き義務を怠る場合に用いられる。 譴責の内容は、キリストの名によって罪を責め、悔い改めと改善された生活を命じることから成る。 教会会議は、その監督下にある 会員たちに、この非難(“rebuke”)の理由を公的に知らしめることができる。
( 「推奨様式 25号」[8] 参照)
この内容は、教会員としての権利の一時的な停止にあり、それには陪餐停止 もしくは(按手された)役員職の停止、または それらの 双方を含む。 これは、会員が、重大な罪を犯した場合か、継続的な義務不履行の際に、実行される。 この譴責は、成立した教会会議において議長によって、イエス・キリストのみ名において宣言される。 教会会議は、その監督下にある 会員たちに、この[会員権]停止の理由を公的に知らしめることができる。 この停止の解除は、悔い改めの実に基づく。
( 「推奨様式 26号、27号」[9] 参照)
この内容は、按主を受けた役員の職権を剥奪することにある。 また、これは、その他の権利の停止を伴い得る。 この譴責は、教理的に重大な瑕疵(かし)、あるいは行動が、明らかにその者の役員職の行使に支障があると思料される場合に課される。 この譴責は、成立した教会会議において議長によって、イエス・キリストのみ名において宣言される。 教会会議は、その監督下にある 会員たちに、この[会員権]停止の理由を公的に知らしめることができる。 教える長老が[権利]剥奪をされた場合は、教会会議はすみやかに(通常 7日以内に)文書で、すべての中会の書記たち、そして、シノッドの書記に通知するものとする。 停止、ないしは剥奪の処分を受けた者には、彼の要請により、「原告適格の書」 (“a letter of standing”) が与えられる。 この内容には、譴責が課された根拠が含まれる。
( 「推奨様式 28号」[10] 参照)
これは、会員を「見える教会」("the Visible church”)から戒規的に除名することである。 [この譴責]は、[その者の]悪意に満ちた誤謬、または継続的な神の律法に対する違反があまりにも酷(ひど)く キリスト者としての信仰告白[の内容]、そして、キリストの教会の教理と秩序[保持]とに矛盾を合致しないような場合においてのみ行使されるべきである。 また、まず最初に、罪を犯した者が悔い改めるために、ありとあらゆる試みがなされるべきである。 除名が宣言される以前に、教会会議は、違反者に対して、かかる処分がなされようとしている事実を知らしめるための適格な努力がなされなければならない。 この譴責は、成立した教会会議において議長によって、イエス・キリストのみ名において宣言される。 神にたいして、あわれみと悔い改め[を求める[11]]祈祷がなされる。 教会会議は、その監督下にある 会員たちに、この除名の理由を公的に知らしめることができる。 会員は、爾後、この者は「見える教会」の外にいる者であって、彼には悔い改めと救いが必要である、と認識すべきである。
( 「推奨様式 29号」[12]を参照。)
2. 適切と判断されれば、教会会議は、正式な譴責[過程]を介さずに、かかる会員を教会籍から除外することができる。 [その場合とは、]
(「推奨様式 2−A号」[13]を参照。)
(「推奨様式 2−B号」[14]を参照。)
3. 適宜、下記が該当する。
<参照聖句>
第一テサロニケ5:14、テトス3:10−11、第一コリント5:1−13、第二テサロニケ3:6、
マタイ18:17−18、ヨハネ20:23、第一ヨハネ20:23、第二テモテ4:10、
マタイ19:22
第5章: 抗告(“appeal”)の権利
1. 長老教会政治は、教会会議の上下関係を規定している。 それにより、下位の教会会議は上位の会議に対して責任を負っている。 [17] 下位の会議の議決は、上位会議において審理され、[必要に応じて] 改訂を受ける。 教会員は、誰でも、下位会議から最高位の会議[18]に至るまで、訴えを起こすことが認められている。 充分な理由があれば、上位会議は、かかる訴えを却下できる。 下位会議の議決は、上位会議の裁判権の下に、[下記の形式]によって提起することができる。 すなわち、「記録の審理 (“review of record”)」、「不服 (“complaint”)」、「事件付託 (“reference”)」 、「抗告 (“appeal”)」である。
(第二部第四章、ならびに『政治規準』第六章第16段落(D−35) を参照。)
<参照聖句>
出エジプト18:22、使徒15:2、25:1−12、第二コリント13:1
第6章: 悔い改め、赦し、譴責後の復帰
1.
譴責の下にある者は、いつでも、罪の告白、悔い改めによって、譴責を発した教会会議を訪れ、赦しと譴責の解除とを請願することができる。
2.
教会会議が、その者に、悔い改めを示す充分な証拠を見出すならば、譴責の実施の際と同様の厳粛さと公明さでもって、その者[の権利と名誉]を復帰させ、会衆にたいして赦しを促す。 かかる悔い改めには、和解への充分な努力、罪の被害にあった側との[関係]修復とが含まれる。
3.
除名された会員の復帰には、教会会員の誓約への更新を必要とする。
4.
按手された役員職の停止に関する解除については、完全な復帰がなされる場合、教会会議は譴責を解除するものとし、かつての執事会もしくは小会での職務に復帰させるものとする。 教える長老の「停止」、「剥奪」、「除名」からの[権利・職務]復帰については、中会の司法権の下にある。
5.
按手された役員職の剥奪に関しては、教会会議は譴責を解除することができ、また解除の後には、手を置くことによって按手(“ordination”)を回復(“restore”)しなければならない。 治会長老または執事には、爾後、再びその職務への被選挙権が与えられ、教える長老には被招聘権が与えられる。
6.
譴責の下にある者の復帰は、譴責を課した教会会議(もしくは、その助言と同意)によってのみ可能である。
7.
戒規の全過程は、やがて 主の前で各々の業についての申し開きをしなければならない者たちによって、崇敬、祈祷、やさしさ、配慮、愛、公正さ、謙遜、忍耐をもって 実践されなければならない。
<参照聖句>
第二コリント2:5−11、ガラテヤ6:1−5、第一テモテ5:1−2、19−22、
ヘブル13:17、第一ペテロ5:1−4 [19]
[1] 長老教会の歴史においては、ジュネーブ時代から、長老による信徒の(家庭)訪問がなされて
いたという。 もっとも、現代英語の”visit”には 単に「会う」という意味もあるが。
[2] 基本的に「戒規」と同じ語。
[3] すなわち、小会、中会、シノッドのこと。 (訳注)
[4] 小会に対しての中会、中会に対してのシノッドの関係。 (訳注)
[5] 譴責の重さは、勧告から除名の順で重くなる。 (訳注)
[6] 訳者(遠藤)には、”as mentioned in paragraph 2 of this chapter”
(p.71)の意味不詳。
[7] 原書 p.83
[8] 原書 p.83
[9] 原書 p.83
[10] 原書 p.83-84
[11] 文脈から察して、「違反者の悔い改め」のことであろう。 (訳注)
[12] “Suggested Form 29”
原書 p.84を参照のこと。(訳注)
[13] 原書 p.81を参照のこと。(訳注)
[14] 原書 p.81を参照のこと。(訳注)
[15] それ以上の譴責については、上位の教会会議(中会)の権限。 (訳注)
[16] 意味不詳 (訳注)
[17] 歴史的訳注(遠藤): この是非については、アメリカ南長老教会(旧・PCUS)の伝統は
<中会>の優位を主張している。
[18] RPCNAの場合は、シノッドがそれに該当する。