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畠山文雄(小学校教頭)氏
ただいま御紹介いただきました畠山文雄です。私は岩手県で道徳教育研究会のほうに携わっておりますので、心の教育という点から私
の意見を発表させていただきます。
今回の教育基本法見直しの視点や方向については、伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心の重視や家庭の教育力の回復など、共感で
きるものが多く見られます。ただし、宗教に関する教育については、より重視する方向で見直していただきたいと思います。
教育基本法の第九条は、第1項で、宗教について教える必要性を示し、第2項で、特定の宗教のための教育が禁じられています。特定
の宗教、すなわち、宗派宗教ではない、宗教的な情操の涵養や生命に対する畏敬の念の育成は、人格の形成に欠かせません。人間が宗教や道徳から解放された
ら、人間性の崩壊を招きます。それにもかかわらず、公立学校では第1項がおろそかにされ、第2項が特定の宗教教育だけでなく、すべての宗教教育を禁じてい
ると受けとめられているのが実態です。先ほど佐々木さんがおっしゃっているとおりでございます。
例えば、給食前に、合掌して「いただきます」と唱和していた富山県の小・中学校では、保護者から「合掌という言葉は宗教的な色彩
があり、強制されるのは苦痛」という指摘を受けて、結局、合掌を取りやめました。そのため、平成8年以降は、「気をつけ。いただきます」にかえたと言われ
ております。
また、かつて近畿地方では、多くの小学校で伊勢神宮を修学旅行のコースに入れていましたが、最近は激減しているということです。
伝統、文化の尊重の視点からも残念なことです。
そのほか、ゆとりの時間に家庭で神棚、仏壇、墓地を清掃し、花を献じるよう指導した校長に対して、教育委員会は中止の指導を行い
ました。
このように、戦後の宗教教育の軽視は甚だしく、第1項の宗教に関する涵養の態度の尊重はなおざりにされています。戦後の教育は、
宗教教育の重視を確認して出発しました。昭和21年8月、憲法20条の草案に対し、当時の田中耕太郎文部大臣は、自ら起草した宗教的情操教育に関する決議
が帝国議会で採択されました。昭和21年、教育基本法第九条の原案は、「宗教的情操の涵養は、教育上これを重視しなければならない」と明記されていまし
た。この条文案は、占領軍民間情報教育局の圧力により、今の条文に変更されたことが、杉原誠四郎らの調査によって明らかになっています。昭和23年、教育
刷新委員会は「学校教育と宗教との関係」という建議で、宗教心に基づく敬虔な情操の涵養は、平和的、文化的な民主国家の建設に欠かせない精神的基礎の一つ
であり、殊に宗教的欲求を正しく育成することは、教育本来の使命にも沿うとうたっております。
また、昭和46年、中教審のいわゆる四六答申では、生命と自然に対する愛と畏敬の念に支えられて、統一的に働くところに人間形成
の真の姿があると、教育の根幹に宗教教育があることを明示しています。
かつて、昭和38年から国立教育研究所所長を15年間も務めた平塚益徳先生は、宗教的情操を人格形成の上で中核体をなすものとい
う信念のもと、教育課程審議会や中央教育審議会委員として畏敬の念を教育課程に位置づけるよう主張しました。
このように、戦後教育改革において宗教を強調したのは、教育理念としての人間性の尊厳の確立は、内面的な信仰にまたなければなら
ず、人格の核は宗教心であるとの共通認識があったからだと私は思います。今日、この宗教的な情操は、学習指導要領の生命に対する畏敬の念に受け継がれて記
されております。
私は、学習指導要領の道徳の目標に掲げられた生命に対する畏敬の念という宗教的な情操を、教育基本法に位置づけることで、学習指
導要領に記された内容の習得の根拠が明確になると思っております。なぜなら、平成元年に告示されました学習指導要領に国旗・国歌の指導の義務が明示された
ものの、それが徹底されず、平成11年に法律として明文化されて、初めて指導の徹底が図られたように思われるからです。同じように、教育の根本法である教
育基本法に宗教的な情操の育成を位置づければ、先ほどお話ししましたように、指導の根拠が明確になると思っております。
私は、休日、ボーイスカウト運動にかかわっております。ボーイスカウトの三つの誓いの第1は、このようになっております。「神、
仏と国に誠を尽くし、掟を守ります」、これは子どもの健全育成に宗教心が欠かせないことを教えております。豊かな心をはぐくむためにも、教育基本法第九条
は、宗教的な情操を重視する方向で改正することを切に希望します。
最後に、男女共同参画社会の寄与について、一言お願いがあります。このことがジェンダーフリーという極端な男女平等イデオロギー
に加担することのないよう、良識的な答申をお願いします。
先月12日、参議院の内閣委員会で、福田官房長官が男女共同参画社会基本法の精神は、性差、いわゆる男らしさ、女らしさを否定す
るものではない。その目標は結果の平等ではなくて、機会の均等にあると明確に答弁しているからです。
以上で、私の意見発表を終わります。
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