目 覚 め て も 眠 っ て も 主 と 共 に

  テサロニケ人への手紙第一 5:1−11


序 迫害を受けている信徒へ、惠による三つの柱の勧め:聖潔・兄弟愛・希望。
  終末の再臨・復活・審判の実感ある希望に生き、励まされて生きよ!

  しかし、具体的に再臨までの日々を、どのように備え対処すれば良いのか。

  再臨に対する正しい備え方は? 今、霊的に肯定的な自己認識をもっているか。
  生まれつきの人として再臨に直面しようとしているなら、当然無理。
  再臨の備えでは、キリスト者の自意識と救いの確信が問われる。

  確かに一般的には再臨は「盗人のように」来る。しかしこれは警告のことば。
  「盗人のように再臨がくる」ように体験する者では、私たちはないことを知れ。
  再臨までの歩み方が、主にあるかどうかと、この事はまた深く関係する。

   ・おじまどうな             警告
   ・光の子なり              認識
   ・目を覚まして慎み深くあれ       勧告
   ・十字架ゆえ救われ主と共にある者なり  宣言

  再臨を仰ぐ人生は、未来を見詰めるのではなく、今主とともにある人生!
  再臨にあづかる者にとって、再臨のときがいつかは実は事実上関係ない。

[1]おじまどうな! 私たちは盗人のような再臨は知らない!
   主の再臨の日は夜中に盗人のように来る (すぐというより、突如来る)

兄弟たち。それがいつなのか、またどういうときかについては、あなたがたは
私たちに書いてもらう必要がありません。(知っていると言うより、関係がない。)
主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身が
よく承知しているからです。(すでに、「知り得ない」と言うことを知っている)

人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として
滅びが彼らに襲いかかります。     (私たちはその様でないようにされる)

ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなものでそれをのがれることは
決してできません。          (逃れる必要もないように)

(それでも、私たちは、どの様に、再臨の日に備えることになるのか。)


[2]光の子なり!
   光の子の安全:しかし、あなたがたを襲うことはない

しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、
その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。(備えがある)

あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。

私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

(光の子:主にある子。cf.v.9-10救われ、主と共に生きる者。 references
 主にあって、この世で、主のために戦い続け、勝利し続ける者。
 「光」はポスト・ミレ的な、目を覚ましている者の表現。具体的には以下。)


[3]目を覚まして慎み深くあれ
   昼の者の生き方:目を覚まし、慎み深く、信望愛で生きよう

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、
慎み深くしていましょう。眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛とを胸当てとして着け、

救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。
      
(慎み深く:nhphwmen=be sober, selfcontroled
 戦いに出ていくのでなく、次々やってくる戦いに備えている状態。
 目を覚まして:grhgorew=be awake, watch,
 be alert, be alive
 眠り:意識・感覚を失う無動作状態、酔う:自分でコントロ−ルできない状態
 それに対し、信仰・愛・望みの武具をつけて、待機して備えている状態。)


[4]十字架ゆえ救われ主と共にある者なり
   慎み深い生き方の根拠理由:私たちは救いに定められており、主と共に生きる者

神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリスト
にあって救いを得るようにお定めになったからです。

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、
主とともに生きるためです。

ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を
高め合いなさい。

(その保証すること:み怒りでなくみ救い、十字架の主と共に生きること。
 comfort and edify each other
 戦いに備えているもの同志での、支え合いも当然伴うし、有益である。)

 (以下、教会の指導者、聖徒の交わり、個人の霊的生活についてに続く。) <-->