1998年8月22日 改革長老・岡本契約教会蒜山リトリート・朝の礼拝説教
1998年8月23日 改革長老・霞ヶ丘教会・礼拝説教(山口長老代読)
1998年9月6日 改革長老・北鈴蘭台伝道所・礼拝説教(岡村兄代読)

「キリストの契約のために」

招詞  イザヤ書   61:8〜11
詩編 25B.89A.89B.78
聖書 ルカの福音書 1:72〜75
説教者 改革長老・岡本契約教会牧師 瀧浦 滋

序 ルカの福音書1:72-75
「主はわれらの祖父たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、われらの父アブラハム
に誓われた誓いを覚えて、われらを敵の手から救い出しわれらの生涯のすべての日に、
きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。」

今、お読みしましたみことば、ルカ1:72〜75の中に、主が「聖なる契約」を覚
えて、わたしたちを救い出し、生涯のすべての日に、「きよく、正しく、恐れなく、
主のみ前に仕えること」をお許し下さる−−ということが、明言されていました。
これは神さまの深いあわれみによるのであり、そのあわれみにより、「日の出が私た
ちを訪れ、暗黒と死の蔭に座る者を照らし、私たちを神にある平和にみちびきいれて
下さる」ともあります。
これらすべての、すばらしい、神さまの私たちへのご計画、すなわち、私たちを救う
ご計画の土台が、主がおたてになった「契約」なのです。まさに、聖書は、この救い
の「契約」を示すものであり、イエス・キリストは、この救いの恵みの「契約」の道
を示すため、そして、その「契約に」 私たちを入れ、信仰と聖霊によってその「契約」
にあずからせ、私たちを救うためにおいでになったのです。

1 キリストの救いの福音と聖書の「契約」

ですから、いいかえると聖書の「契約」と言う言葉は、実は神さまが下さった、すば
らしい福音を示しています。その確かさと深さを示しています。私たちを罪の暗黒と
死の蔭から救う道が、確かに、神ご自身によって、契約されており、イエス・キリス
トを信じることで、私たちはその道に入れられ、光のうちを歩むものとされます。生
涯、きよく、正しく、恐れなく、主のみ前に仕えるようになります。これが、聖書に
示されている恵みの「契約」の道です。
人々は、このキリストにある「契約」の道を認めようとしません。あいかわらず、自
己と自己の欲と、この世の霊の内を歩んでいます。そこで、私たちには、この「契約」
のための、戦いが当然おこってくるわけです。
あらためて、この聖書にある救いの「契約」のすばらしさを自分たちのことばでまとめ、
自分たちの、「契約」に対する、積極的な承認と信頼と新しい従順の喜びにみちた決心
を表明するのが、「私たちの契約」です。
「神の契約」の恵みに対して、これを感謝して守ることを表明する「人の契約」が応答し
ま す。これが、私たちの人生の土台であり、洗礼のときの「教会員の契約」はその一つ
です。

2 「契約」のために生きた人々

このすばらしい「契約のために」生きた人々について学びましょう。
今から、約500年前、ヨーロッパのキリスト教会は崩壊の危機に立っていました。
外からは、イスラム陣営が、東に西にせめこんで来ていました。教会の内部は、イス
ラム文化の影響もあり、内部から変質して、キリスト教会であることを、やめようと
していました。聖書のまことの福音、神の救いの「契約」の福音がこともあろうに
教会自身から失われかけていたのです。
しかし、神さまは、そのとき、聖霊によってみことばそのものに働かされ、この福音、聖
書の「契約」によって、魂に火をつけられた者たちを、再び、初代教会のようにおおこし
になりました。教会は、神の教会であって、人の罪によって亡びることはないのです。
神の「契約」は不変だからです。

その「契約」を見出し、福音に、もやされた炎は、ルター、カルヴァン、ツイングリ、
ブリンガー、をへて、暗黒の地スコットランドにも、もたらされました。まず、この福音の
ために、パトリック・ハミルトン、ジョージ・ウイシャートなどが、まさに、火刑場の炎と
なって、この福音の貴さ、いのちに値する、すばらしい唯一の救いの道を証しして果てた
あと、この神の救いの「契約」を知る炎は、ジョン・ノックスによって、スコットランド
の地にもたらされました。それは丁度枯れ草の山に炎がうつったようなものでした。
霊に渇いたスコットランドの民衆は、1560年、ほんのしばらくの間で、この福音に立つ
宗教改革を、国としてなしとげてしまいました。
ノックスは、スコットランド信仰告白をまとめ、それで、聖書の恵みの「契約」の福音と
それへの応答の「契約」を明瞭に堂々と告白しました。
しかし、この恵みの福音の教えに反対し、教会を、この世の利益の面からしか見ず、自ら
の支配の手段としてしか考えない、不信仰なスコットランドの王たちは、長年にわたって、
教会のこの聖書の「契約」に立つ自治と独立をみとめませんでした。
スコットランド教会は、世的な王の支配を脱し、長老たちによる教会の自立を確保し、
自由に福音の「契約」のために生きるために、戦いを戦いつづけました。アンドリュー
・メルヴィルは、その中で有名です。かれは王の前で堂々と、「王よ、このスコットランド
には二つの王国があり、二人の王がおられます。そのまことの王、キリストの前では、
あなたもそのしもべにすぎません。」 といのちをかけて明言して、キリストのみ言と
「恵みの契約」にもとづく、教会の支配が、王からはなれて、完全な自治をみとめられる
ために戦いました。王による牧師の任免権や教会会議の召集権を否定して、まことの
聖書の「契約」に立つ、信仰を貫く自由を教会制度として、保証しようとしたのです。
それが、長老制です。私たちは、この「契約」を貫く信仰の自由のために立つ、長老教会
なのです。

やがて、スコットランド教会は、神さまの摂理的助けにより、一時的にこの福音と契約
を 貫いて生きる、王からの自由をえるときが来ます。
1638年、国民契約がむすばれ、無数のキリスト者たちが、あるものは手首を切って、その
血に筆をつけて、この契約に署名しました。
ところがこれを聞いた、王が軍隊をととのえておどしをかけてきたのです。王はイング
ランドからスコットランド南部に迫りました。そのとき、はじめて、この旗がかかげら
れ たのです。「キリストの冠と契約のために」という旗です。王の軍隊は統率悪く、スコ
ット ランドの民衆はこの旗のもとに結集していたので、この1639年の戦いは、戦うこ
となく、 民衆の自由をみとめる合意で、勝利の内におわりました。

そののち、イングランドで革命がおこり、王が廃され、オリバークロムウェルの共和制が
成立します。そのもとで、ウェストミンスター信仰基準がつくられ、この福音にしっかり
立つ、みことばの「契約」 に一貫した、教会と社会が、教会の自治のもとに確立されます。
しかし、1660年王政が復活し、1688年のオレンジ公ウィリアムの名誉革命まで、王たち
によるはげしい迫害の時代となります。 その間、福音を守り、聖書の「契約」を心に抱
く、 何千という人々が殺されます。
その中で、私たちの信仰の先輩は信仰を守りとおし、この旗の下で戦い、「カベナンター
(契約を守るもの)」とよばれるようになったのです。

このカベナンターがいのちをかけた契約とは、単なる、この世の契約ではないことは、
先ほどの、お話しからおわかりいただけるでしょう。それは、ルカの福音書1:72~75に
いわれていたような、「福音」なのです。彼らは福音に生きるために生命をかけました。
キリストに生きるために生命をかけました。それは、単なる律法の行いを求める契約
ではなく、神がキリストにあって私たちをすくい私たちを光にかえて下さる「恵みの
契約」なのです。だからこそ人々はよろこんで、その福音の炎にもやされ、殉教すら
していきました。これは、義務や意志や決心によるのでなく、主の恵みの福音にふれた
からです。
カベナンターがいのちをかけた契約とは、「福音」と「福音へのコミットメント(自分を
かけること)」です。 「キリストに生きる」ことなのです。

宗教改革の第一期は、「キリストのみが救う」が、モットーでした。
この1638年のスコットランド宗教改革の第二期すなわち国民契約では、「キリストのみ
が支配される」が、モットーとなりました。
恵みの契約の福音は、単なる理屈ではなく、私たちをキリストのめぐみのご支配、福音
の すくいの中に、キリストへの献身へと召しているのです。

スコットランドは、この聖書のキリストの「契約」への信仰と献身の、世界への増幅器と
して用いられました。世的にも、この 戦いから「人権」「信仰の自由」など、今、私たちが
享受している社会の恵みがもたらされたのです。この「恵みの契約」への応答という
「私たちの契約」の面が、スコットランドの風土ともあいまって、個人の心、家庭、社会、
教会、国家などすべてを貫く「契約」の原理として確立され、まことの聖書の福音に立つ
教会と社会がめざされました。それが、全世界での近代におけるキリスト教社会の進展
を生み出す強い底流の一つとなったのです。
この「キリストの冠と契約のために」という旗がかかげられるところで、神は、この旗を
ただ福音のため、ただキリストに生きるための旗印となさり、恵みの契約によるこの
地上での、神の国の戦いを、これによっておすすめになりました。この旗をかかげた
カベナンターたちは、軍事的には圧倒され抹殺されても、信仰において、霊的に勝利し
つづけました。

この日本の地でも、60年前には、教会でキリストの福音のみことばが、自由に語れない
迫害の時代がありました。今、一見自由な時代になっていますが、礼拝につどう者たち
の 心は、この世の圧力で様々に自由をしばられ、それが、説教で 自由に「キリストの契
約の ために」 語ることへの無言の圧力とすらなっています。
今、私たちも、この旗のもと、同じキリストの福音を自由に語り、自由にキリストの
みこころのままに生きるための戦いと勝利へと、召されているのです。

3 (ルカの福音書1:72-75を再び読む)
この神の聖なる契約は、このみことばにあるように、すばらしい福音です。

(1)神のあわれみによる、私たちへの「救いの契約」です。
(ルカ1:72-74)
それは私たちを様々な人生の敵から救い出します。罪のくらやみからすくいます。
死の蔭から救い出すものです。
それは、古くから、アブラハムに約束された救いです。(詩篇105:8-10)
主はこの契約によって、私たちを救い出して下さいます。(詩篇106:44-46)
暴虐が横行し、しいたげが迫る中で、主は、この契約ゆえに、悩む者、貧しい者を助けて
くださいます。(詩篇74:19~21)
このように契約は、私たちの救いの契約です。

(2)また、それは「イエス・キリストの契約」です。
救い主が来て、罪をのぞいて下さる契約なのです。(ローマ書11:26-27)
このみめぐみゆえ、みすくいゆえ、私たちはこの契約に心をもやされ、この契約を真理
としてうけいれ、このために自分の人生をささげます。 そしてこの恵みの契約は、
キリストにあって確立しています。不変です。(詩篇89:3、28、37)
神が必ずキリストにあって守って下さいます。(ガラテヤ書3:17、エペソ書2:12-13)

(3)そして、これは、「新しくする契約」です。
私たちを新しくし、新しい歩みへと私たちをすすませる契約です。
私たちは、キリストに生きるのです。
この契約を個人の人生の土台、教会の土台、国家の土台とするとき、この契約のために
生きる私たちは、福音による新しい人生を歩みます。
これはキリストのみ掟が聖霊によって心にかかれたからです。(ヘブル書8:8-12、10:1
6) イエス・キリストは、身代わりのあがないの血をもって、この救いの契約を私たちに
むすんで下さいました。 (ヘブル書12:24)
ゆえに私たちも祈ります。 ヘブル書13:20-21の通り祈ります。

結論
主は私たちにこの契約を知らせて下さいました。(詩篇25:12-15)
それは、あなたが、罪と死とサタンから救い出される契約です。
そして、あなたが生涯、きよく、正しく、恐れなく、主のみ前に仕えることができるよう
に される契約です。
私たちはこのようなすばらしい、契約を手に入れました。主からいただきました。
聖書にこれがあります。

私も、教会も、この契約のために歩みます。私の人生は、生活は、この神の契約、福音の
契約、「キリストの契約」のめぐみのためです。

それがこの旗が私たちにたえずかたりつづけるはげましなのです。
(ルカの福音書1:72-79をよんで終わる。)