Apr. 7, 2006

主 の晩餐

主の晩餐は、イエス・キリストご自身にあずかるときで 、キリスト者にとって人生の基礎であり、人生で最も重要なことです。どうか、聖書に命じ薦められていますように、良い準備を持って主の晩餐にあずかられま すように。


準備礼拝第一回 4月5日(水)
契 約のパンについて
ヨハネ6: 29−51
(聖句そのものを開いて以下を読んでください)
  1. パンは何を意味するか?  29−34
    1. 「イエスキリストを信じること」が神があなたに求められていることではそのためにどんなしるしがあるのか。
    2. 旧約の聖徒たちの信仰のための、荒野のマナのしるしの真意は、肉体のためのパンでなく、天からのまことのいのちのパンにあっ た。
    3. 神のパンは、天から下ってきてこの世にいのちを与える方のこと。
      このパンこそが、私たちが信じるためのしるしだ。この主の晩餐のパンは永遠の命への救い主キリストを意味するしるし。このキリストのしるしのパンで、私た ちはキリストを信じるのである。

  2. パンを食べることについて 35−40
    1. 「私がいのちのパンです」
      このパンを食べるとき、いのちをいただく
    2. 天のみ父に定められているからこそ、このパンにくるイエス様のところに来る。そしてその人を主は決して見捨てない。
    3. このパンを食べることには、み父のみこころがこもっている。
      それは信じて食べるものを一人も失わず、よみがえらせるとのみこころキリストご自身が、私たち一人一人よみがえらせるために働いてくださる信じてこのパン を食べることは、永遠の命を得ることなのだ

  3. パンを食べる者について  41−51
    1. つぶやく人がいた。つぶやくのをやめよ!
      しかし、み父が引き寄せられるほかは、誰もキリストの下に来ない。このパンを食べる人は、み父にの引き寄せられている
    2. 自分を吟味するのは何のためか。
      2コリント 13:5−6
      み父に引き寄せられているのがみんなはじめからわかるのか。父を見た人はいない。ただキリストのみが見られた。私たちも自分が神を知らず、不適格だと思い がちだ。吟味せよ。自分の中にキリストが既におられることを悟れ!自分のような者でも不適格ではないことを、はっきり悟るための吟味。パンを食べる者は、 不適格ではないことを悟って食べよ
    3. 信じてこのパンを食べる人は、いのちを持つ人である
      荒野でのマナは死からは救えなかった。このパンを食べる者は、死ぬことがない。誰でも信じてこのパンを食べる者は、あがなわれており永遠に生きるみ父に引 き寄せられてこのパンを食べる者は、自分がキリストにあるものとされていて、不適格でないことを悟るべきである。信じて来るなら誰でもとこしえのいのちを 持つのだ

それぞれキリストへの信仰を、ささやかな誓いとその証に託して、この主の晩餐に集い、キリストに身も心もささげてこのパンを食べるものであるように。